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2016年04月08日

答えられない質問には ひたすら聞くだけです

なぜ まだ生きているのか?
いつまで 私は生きているのか?

もう 私はやることはやりましたから 死なせて下さい・・・

というような禅問答のような 毎日の繰り返しです。

膵臓がんの叔母は 毎日 このような答えの無い質問を繰り返します。

さて 緩和の医師は なんと答えたでしょう??

叔母の主治医は 女性です。
女医さんです。

「○○さん いつか その日はやってきますが それが いつなのか 私にもわかりません。
どうやったら死ねるか・・・を考えるより どうやって生き抜くか?を考えましょう」って医者は言ってました。

なんて情けない 医者だろうか・・・と私は思いました。
そんな 教科書的な事を言ってくれても 極限まで来ている患者に通じるか!!

叔母は もうそんな気力は無いのですから。
姪の私でさえ 医者はもっと精神的なケアをして 患者を救えるのかと思っていました。

しかし 甘かった。
医者にも看護師にも 叔母の魂の叫びに対する精神的なケアはできません。

情けないというより 医療者は 誰もが他人ですし 一患者の精神的ケアなんて出来るはずありませんよね。
私たちは 緩和病棟をあてにしすぎていました。

医者はもっと 気が効いた事を言ってくれるのかと期待していましたが、期待はずれです。

叔母が 「緩和は期待できない」と言っていたのが よくわかります。

医療者は 他人ですし 医療者としての立場でしか 話せません。
私も それ以上のことを期待しても無理だとは思います。

しかし 死にゆく人の前では 本当に誰もが 無力であります。
誰も 患者の気持ちになれません。

一緒に死んでやることができないからです。
姪の私も 一緒に死んでやることはできません。

もういい!!って言ってるのに なぜ まだ生かしてるの???という
叔母の悲痛な叫び声は 毎日 続きます。
posted by ナオ at 17:30| 癌の叔母 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

なぜ まだ生きているのか?と聞く患者

膵臓がんの叔母は 緩和病棟に入ってから よく眠れるようにということで 強めの安定剤が出ました。
自分でもしっかり眠りたいということで。

薬については 敏感な叔母でして これを飲んだら このまま 起きないのではないか?
この薬を飲んだら ボケてしまうかもしれない・・・というような 不安があったようです。

それでも 夜 深く眠ったほうが 恐怖感も薄れるだろうということで薬を飲みました。

薬の効果はあるものですね〜
私 感心しましたわ。

夜はよく眠るし 日中も 眠いわけではないけれど 攻撃性はなくなって 姪の私を追求するような発言はなくなりました。

日中は 誰かがいるときは 起きていますが、独りになると 目を閉じてゆっくりしている時間が増えたようです。

姪の私は 正直 ホットしました。
私が近くにいないと不安らしくて 看護師さんに電話してもらう事もありましたから。
看護師さんから 私の携帯に電話が来て 私の所在を確認するような事もありました。

私も 毎日 通えるわけではないので 孤独だったかもしれませんね。

私との会話は、「なぜ まだ 生きているのか?」という内容が多かったと思います。
もう 自分の治療は終わって だんだん転移の範囲を広くなってきて もう その時を待つばかりなんだけど あと どのくらい生きるのか?

その日まで どうやって生きていれば良いのか?

もう 待てないから 早く 逝かせて欲しい・・・

こういう内容の話が多くなって それに対する 答えは 誰も出せません。
緩和では 答えの出せない話は 黙ってよく聞く・・・というのですが
この叔母は 黙って聞いているだけでは 納得しない人です。

緩和の担当医が回診の時に
「あと何日 生きるのか?余命はと聞かれても わからないものは答えられない。でも ○○さんの心の叫びはけっしてスルーしていません。全て 私どもは受け止めていますよ。」と言ってました。

私は この時 医者の無力をまざまざと感じました。
医者は確かに 薬を盛ることはできますし 患者の希望も出来るだけ取り入れてくれます。
看護師さんも身体的なケアは良くしてくれます。

しかし この叔母の精神的なケアは誰もできません。
事実 この叔母は なんの満足感も得ていませんでした。

自分で希望して入った緩和病棟ですが 自分が思い描いていたほどのところではなかったのです。
死にゆく人の 不安、恐怖、孤独・・・

こういう気持ちを誰も すくい取れません。

病院側は 尽力を尽くしてくれましたが 患者本人には 満足のいくものではありません。

家族がいたなら 良いのでしょうか?
シングルで家族がいないから ダメなのでしょうか?

よくわかりませんが 叔母は確かに 医療者全てをあてにしていませんでした。
こういうと失礼ですが。

叔母は1人で緩和病棟に入院しているのが 不安だったのですね〜
でも 親戚も皆 引き取ることもできませんし もう 薬を必要とする時期ですので このまま入院しているしかありません。

私は 夜 病院に泊ってあげようかと考えていましたが 自分の体調もよくありませんし 無理でした。

叔母は 私が夜 帰るときには 泣きました。
親戚が帰る時も 泣いたそうです。

夜は寂しく 不安だったでしょうね〜
日中は あんなに元気で おしゃべりしていても 夕方 4時ころになると だんだん 気持ちが鬱になります。
患者さんは 誰でも同じらしいけど・・・

何回も泣かれました。
あんなに 強くて 仕事もよく出来た人でも こんなに弱くなるのです。

生きていたいけど もう 死ぬ時期だから 早く逝きたい。
このような 介護を受けるような暮らしは 自分のプライドが許さないのです。
そういう人です。
posted by ナオ at 12:04| 癌の叔母 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

自分の意思ではどうにもできません

早く死なせて欲しいと言われても・・・
そう言われてもね〜〜

何にも出来ないんですよ。

日本では 患者の意思に沿って 早く逝かせる・・・なんてできません。

「この私が もういいって言ってるんだから・・・それを遺言に書いてもダメなのか?」と
必死で 訴えていました。

入院中も 医師に何回も死なせて欲しいとお願いしてましたよ。
その都度 医師は、「医者は治そうとしてるんだから 無理だよ・・・」って言います。

つくづく思いますが 人間は 生まれる時も 死ぬ時も 自分の意思ではどうすることも出来ないんですね。
膵臓がんの叔母は おそらく 魂の叫びにも近いものがあったのでしょう。

誰も あたしの言うことを聞いてくれない・・・と泣きます。
可哀そうで、哀れで虚しいものです。

叔母はもう その日を待てなくなっていたんですね。
自分が死ぬことはわかっていても それがいつなのか?はっきりわからないと嫌だと言いました。

でも たとえ緩和の医師でも 余命は言いません。
言わない方針だと聞きました。

余命を知りたいと言っても いざ 医師から言われたら それこそ この叔母は落ち込んでしまいます。
死ぬのは怖いし どうすることもできません。

だからこそ 早く悪くなって どんどん薬を盛って欲しいと言います。

今まで 治療に前向きで 辛い抗がん剤も ステント装着も 放射線治療も 頑張ってきましたのに、もう何をやっても無駄だとなれば 虚しい限りです。

叔母は 自分の余命をはっきり知って 「後 何日頑張れば死ねる!!」という安心感を欲しかったのかもしれません。
余命は言わない方針でしたが 実際には はっきりとは分からないようでした。
私は 1カ月は無理かな・・・・と思いました。

いくら患者が望んで余命を聞きたいと言っても 医者は誰ひとりとして 答えませんでした。
この叔母の性格を医師達は見抜いていました。

いくら口では しっかりしているようでも いざ宣告されたら 誰だって相当ショック受けるでしょうから。
叔母は 泣き喚くでしょう。

「あと 何日 生きればいいの?どうやって生きればいいの?」悶々とした 答えの出ない質問攻めにあって姪の私は 胃が痛くなったものでした。
posted by ナオ at 23:13| 癌の叔母 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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